加藤鮎子を語る上で、父である故・加藤紘一元自民党幹事長の存在を無視することはできない。「加藤の乱」で政界の頂点から一転、孤高の闘いを強いられた父の背中。山形3区の地盤を継ぐことは、名誉であると同時に重い足かせでもあった。
米国の大学院で国際関係を学び、外資系コンサルティングファームでキャリアを積んだ彼女は、当初から政治の道を志していたわけではない。だが、父の落選と病を機に、彼女は地元・山形へ戻る決断を下す。地元の期待と批判の双方に晒されながら、雨の日も雪の日も頭を下げ続けた。
家柄だけで勝てるほど日本の政治は甘くない。世襲批判が吹き荒れる中、彼女を支えたのは「逃げない」という意志だけだった。父の政治哲学を継承しつつ、旧来の男性中心的な政治文化に風穴を開けようとする姿勢は、やがて党内でも評価されていく。