祇園新橋の伝統的建造物群保存地区を歩く|茶屋建築の美と最新規制

祇園新橋の伝統的建造物群保存地区を歩く|茶屋建築の美と最新規制

今注目を集めている 祇園新橋の伝統的建造物群保存地区を歩く|茶屋建築の美と最新規制について、多角的な視点を分かりやすく掲載しています。

祇園新橋の歴史を遡ると、寛文年間(1660年代)に祇園社(現・八坂神社)の門前茶屋として発達したのがその起源とされています。幕末の1865年(慶応元年)に発生した大火によって地区の大半が焼失したものの、その後わずか数年の間に、ほぼ統一された規格と美意識のもとで再建が進められました。現在私たちが目にする整然とした町並みは、この江戸末期から明治初期の再建期に確立されたものです。

この地域が一般的な京町家(職住一体の商家)と決定的に異なるのは、接客と遊興を目的とした茶屋様式建築の特徴にあります。通常の町家が一階の店舗部分を高く、二階を物置や使用人の部屋として天井を低く設計しているのに対し、祇園新橋の茶屋建築は「二階がお座敷」となるため、二階の階高が非常に高く取られています。さらに、外観には通りを見下ろすための優美な手すり(高欄)が備えられ、室内からの視界を確保しつつ外からの視線を遮る繊細な格子が張り巡らされています。

外壁を彩る赤褐色の「弁柄(ベンガラ)塗り」も花街建築の象徴です。酸化鉄を原料とするこの塗料は、防腐・防虫効果という実用性を備えながら、夜の灯籠の光に照らされた際に艶やかな陰影を生み出します。また、軒下に立てかけられたすだれは、夏の陽射しを遮りながら通り抜ける風を呼び込み、花街ならではの幽玄な気配を漂わせる装置として機能し続けています。

建物の足元に目を向けると、緩やかな曲線を描く竹細工の犬矢来(いぬやらい)が目を引きます。これは泥はねや雨滴による壁の劣化を防ぐと同時に、犬や猫の粗相から建物を守り、さらには通行人が外壁に密着して室内の様子を覗き見るのを防ぐ心理的境界線としての役割も果たしてきました。意匠のすべてに美観と機能、そして町衆の自負が凝縮されています。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。