鳩山由紀夫氏がなぜ2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で出馬を取りやめ、政界引退を余儀なくされたのか。その直接的な引き金を引いたのは、当時の民主党執行部(野田佳彦首相・執行部)が突きつけた「踏み絵」でした。
2009年9月、自公政権を打ち破り「国民生活が第一」「官僚主導から国民主導へ」を掲げて発足した鳩山内閣は、発足当初70%を超える高支持率を記録しました。しかし、米軍普天間飛行場の移設先を巡る「最低でも県外」発言の撤回や、社民党の連立離脱、自身の資金管理団体を巡る偽装献金問題(いわゆる故人献金・子ども手当問題)が噴出し、支持率は急速に失速。就任からわずか260日後の2010年6月、参院選を前に電撃辞任へと追い込まれました。
退陣後も最高顧問として党内にとどまり再起をうかがっていた鳩山氏に対し、決定的な決裂をもたらしたのが2012年夏の「社会保障と税の一体改革」関連法案でした。当時の野田佳彦首相が自民・公明両党との「三党合意」によって消費税増税法案の成立に踏み切った際、鳩山氏は「政権交代の原点に対する明白な裏切りである」として造反票を投じ、党員資格停止3カ月の処分を受けました。
そして2012年11月、野田首相が衆議院解散を断行した際、執行部は公認基準として「消費増税方針への賛成」および「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)推進の受け入れ」を求める誓約書の署名を全候補者に義務付けました。自らが結党した民主党の看板政策を自ら否定する誓約書へのサインを迫られた鳩山氏は、地元・北海道9区(室蘭・苫小牧など)の後援会幹部との協議を経て、2012年11月21日に次期衆院選への不出馬と政界引退を正式に表明したのです。
当時の会見で鳩山氏は「消費増税やTPPへの賛成を誓約してまで公認を得ることは、私の政治信条として絶対にできない」と語り、自ら築き上げた政党から事実上排除される形でバッジを外す選択をしました。その後、2013年5月末をもって民主党を正式に離党しています。