高岡瑞龍寺を語る上で欠かせないのが、加賀藩の命運を分けた二代当主・前田利長と、三代当主・前田利常の強い絆です。関ヶ原の戦いを経て加賀百万石の礎を固めた利長は、隠居城として高岡城を築き、この地で城下町の繁栄を見届けながら慶長19年(1614年)に53歳で生涯を閉じました。利長には男子がなく、家督を継いだのは異母弟の利常でした。
若き利常にとって、加賀藩の広大な領地を無事に引き継がせてくれた利長への恩義は計り知れないものでした。利常は義兄の法名「瑞龍院殿一品大前内府尊儀」にちなみ、前田家の菩提寺として瑞龍寺の造営を決意。加賀藩お抱えの名匠・山上善右衛門嘉広(やまがみぜんえもんよしひろ)を棟梁に抜擢し、寛永年間から約20年もの歳月を費やして万治・寛文年間(1660年代初頭)に壮麗な七堂伽藍を完成させました。
瑞龍寺が平成9年(1997年)12月3日、富山県内の建造物として唯一「国宝」に指定された背景には、文化財として極めて希少な3つの理由が存在します。
第一に、「近世禅宗様建築の完全な遺構」である点です。総門、山門、仏殿、法堂が一直線に並び、その左右を禅堂と大庫裏が結び回廊で取り囲む中国宋代の寺院配置が、江戸時代初期の姿のまま完全な形で現存しています。全国的にもこれほど整然とした七堂伽藍が残る寺院は極めて稀です。
第二に、「加賀藩大工棟梁による意匠と構造の極致」です。総欅造りの仏殿や、重厚でありながら軽やかな軒反りを見せる山門は、釘を使わない伝統継手や複雑な木組みが施され、当時の木造建築技術の最高水準を示しています。
第三に、「重要文化財群との有機的な保存状態」です。国宝指定された山門・仏殿・法堂だけでなく、総門、禅堂、大茶堂、高廊下、回廊など広範な建物が重要文化財に指定されており、寺院全体が一つの有機的な文化遺産として評価された結果といえます。