苦悩の梨が辿った歴史は、もうひとつの悪名高い拷問具である「鉄の処女(アイアン・メイデン)」と完全に軌を一にしています。
鉄の処女は、人型の金属棺の内側に無数のトゲが配置され、罪人を閉じ込めて串刺しにすると信じられてきました。しかし現在では、1793年にドイツの哲学者・好古家ヨハン・フィリップ・ジーベンケースが創作した作り話であり、19世紀末に実物が「再現」と称してでっち上げられたことが定説となっています。苦悩の梨もまた、この「中世拷問具ブーム」の波に乗って大量生産された産物でした。
19世紀のヴィクトリア朝時代、イギリスをはじめとする西洋諸国では「驚異の部屋(ヴンダーカンマー)」や見世物興行が一大産業となっていました。観客や裕福な骨董収集家は、背筋が凍るような猟奇的アイテムに熱狂し、高額な金を支払いました。悪徳な骨董商たちは、古い医療器具や正体不明の鍵開けツールにグロテスクな装飾を施し、「中世の恐るべき拷問具」というキャッチコピーをつけて売り捌いたのです。
ここには当時の近代社会が抱いていた「進歩史観(自らの文明的優位性の誇示)」という心理的構造が深く関わっています。蒸気機関や科学技術で発展を遂げた19世紀の人々は、「過去の時代(中世)は野蛮で暗黒、狂信的で残酷だった」と信じ込むことで、自分たちが生きる近代がいかに理性的で道徳的に優れているかを確認しようとしました。「苦悩の梨」や「鉄の処女」という都市伝説は、近代人の優越感と加虐的好奇心を満たす格好のプロパガンダだったのです。