「我以外皆我師は誰の言葉なのか」という問いに対し、9割近い人が「宮本武蔵」と即答します。ところが、武蔵自身が晩年に熊本の霊巌洞で書き上げた兵法書『五輪書』にも、死の直前に遺した人生訓『独行道』にも、この言葉は一行たりとも記されていません。結論から言えば、この言葉を生み出し、世に広めたのは小説家の吉川英治(1892–1962)です。
吉川英治は1935年から1939年にかけて朝日新聞で歴史巨編『宮本武蔵』を連載しました。戦前の混沌とした世相において、ただ人を斬り倒すだけの武芸者ではなく、精神の深淵を求め続ける人間・武蔵の姿を描くため、吉川は血のにじむような思索を重ねました。その苦闘の過程で、吉川自身が生涯の指針として胸に刻んでいた信条が「我以外皆我師」でした。
吉川の自著や随筆集『折々の記』などの回想録を検証すると、吉川は小学校中退という過酷な生い立ちから独学で文学界の頂点へと上り詰めた人物でした。彼は学問の府でエリート教育を受けられなかった自らの境遇を恥じるのではなく、街行く市井の人々、自分を批判する論敵、職場の同僚、果ては道端の雑草にいたるまで、接する森羅万象すべてを「わが師」とみなして知識と人間性を吸収し続けました。
作中で描かれた武蔵の求道者としての佇まいがあまりにも吉川自身の生き様と重なり合い、新聞連載が空前の社会現象となった結果、読者の意識のなかで「作中の武蔵の言葉」へとすり替わり、やがて「歴史上の宮本武蔵の名言」という巨大なパブリックイメージが形成されていったのです。これは文学的創作が歴史の記憶を塗り替えた典型例といえます。