憶良らは今は罷らむ子泣くらむの現代語訳と文法|宴を抜けた真相

憶良らは今は罷らむ子泣くらむの現代語訳と文法|宴を抜けた真相

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この歌の背景を理解する上で外せないのが、歌が詠まれた場所と登場人物たちの圧倒的な権力格差です。

舞台となったのは、神亀5年(728年)から天平2年(730年)頃の大宰府(現在の福岡県太宰府市)。宴の主催者は、大宰府の長官である「大宰帥(だざいのそち)」に任命されていた大伴旅人(おおとものたびと)でした。旅人は名門貴族の長であり、官位は従三位(じゅさんみ)。現代で言えば地方支社長兼役員クラスの最高権力者です。

対する山上憶良は、大宰府の管轄下にある筑前国の地方官「筑前国司(筑前守・ちくぜんのかみ)」でした。官位は従五位下(じゅごいげ)。貴族の末席にすぎず、旅人とは位階にして5階級以上、家柄も比べものにならないほどの圧倒的な上下関係が存在していました。通常であれば、長官の酒宴を地方官が勝手に中座するなど、処罰や左遷の対象になりかねない無礼極まりない行為です。

それにもかかわらず、憶良がこの歌を詠んで平然と退席できた真相には、3つの決定的要因がありました。

  1. 高度な教養で結ばれた同志的友情: 大伴旅人も山上憶良も、当代一流の漢詩文と和歌の知識を持つ文化人でした。特に憶良はかつて遣唐使の随員として唐に渡った国際派知識人であり、旅人はその並外れた知性を深く尊敬していました。二人は上下関係を超え、文学サロン「筑紫歌壇」を共に牽引する無二の親友だったのです。
  2. 老境に達した憶良への旅人の配慮: この歌が詠まれた当時、山上憶良はすでに60代後半から70歳近い高齢でした。当時の平均寿命を遥かに超えており、持病も抱えていた憶良の体調を、旅人は日頃から気遣っていました。「子どもが待っている」という口実が、実は「老いた私の体力がもう限界です」というメッセージであることを、旅人は百も承知で受け止めていたのです。
  3. 「場を白けさせない」最高の宴席芸: 憶良はただ黙ってコソコソ帰ったのではありません。宴が最も盛り上がっている瞬間に、自らを道化に見立てた見事な即興歌を披露し、満座の貴族たちを爆笑させて退席しました。礼儀を尽くした敬語を用いつつ、家族愛を理由にして場を一層温める――これこそが、一流の宮廷歌人だけが成し得た高度なコミュニケーション術でした。
斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。