「岸信介の婿養子」というレッテルは、晋太郎にとって終生ついて回る栄光であり、同時に重圧でもあった。昭和の妖怪と恐れられた岸の女婿として政界での階段を駆け上がる姿は、周囲から「政界のプリンス」と羨望を集めたが、本人の胸中は決して穏やかではなかった。義父の巨大な影と戦いながら、自らの政治的アイデンティティをいかに確立するか。それが彼の生涯のテーマだったと言える。
その闘争の象徴が、自由民主党における派閥「清和政策研究会」の結成と展開だ。福田赳夫から派閥の舵取りを引き継いだ晋太郎は、圧倒的な包容力と誠実な人柄で子分たちを束ね上げた。「ニューリーダー」として竹下登や宮沢喜一としのぎを削り、次期首相の本命と目されながらも、自民党内の熾烈なパワーゲームの渦中で苦闘を余儀なくされた。
権力の階段を登るほどに増す摩擦。しかし、彼は泥臭い派閥調整の渦中にあっても、自らのポリシーを崩さなかった。義父・岸信介から受け継いだタカ派的志向と、実父・安倍寛から受け継いだハト派的温厚さ。その二面性を併せ持った清和会のリーダーシップこそが、後に長期政権を樹立する息子の政治的基盤を強固に築き上げたのである。