甲斐国の歴史と地理を深く理解する上で外せないのが、奈良時代の律令制によって確立された「甲斐四郡(かいしぐん)」の存在です。甲斐国は長らく、山梨郡(やまなしぐん)、八代郡(やつしろぐん)、巨麻郡(こまぐん)、都留郡(つるぐん)の4つの郡で統治されてきました。
この四郡体制は、単なる行政区分にとどまらず、住民の生活意識や経済動向を決定づける大きな境界線を生み出しました。それが、現在も山梨県内で明確に意識されている「国中(くになか)」と「郡内(ぐんない)」の地域分断です。
国中と郡内を隔てるのは、標高1,096メートルの難所として知られる笹子峠(ささごとうげ)です。かつてこの峠を越えるには命がけの行程が必要であり、戦国時代においても郡内を治める有力国人・小山田氏は、武田宗家に対して強い自立性を保ち続けました。現代の交通網が発達した環境下でも、郡内地方の住民が日常的な通勤やショッピングの目的地として甲府ではなく八王子や東京方面を志向するのは、この歴史的・地形的構造が色濃く影響しています。