明治天皇の誕生日はなぜ文化の日に?明治節の由来と改称論争の真相に関する疑問や疑問点を徹底的にまとめました。詳細を読もうことができます。
先帝の誕生日を巡る議論では、常に「昭和の日」との対比が論点に挙がる。昭和天皇の誕生日であった4月29日は、崩御後に「みどりの日」へと改称された後、2005年の祝日法改正を経て2007年に「昭和の日」へと再改称された。なぜ昭和は元号を冠した祝日への移行が実現し、明治はいまだ「文化の日」のままなのか。その法的位置づけと背景の差異を以下の構造表で整理する。
祝日・区分由来となった事象と日付祝日法上の趣旨・目的改称・存続をめぐる政治的力学戦前の明治節明治天皇の生年月日
(1852年11月3日)明治の治世・偉業を仰ぎ偲ぶ(四大節)1948年の祝日法施行に伴い廃止。GHQによる皇室色排除の対象となる。現行の文化の日日本国憲法の公布日
(1946年11月3日)「自由と平和を愛し、文化をすすめる」憲法公布を名目に日付を維持。70年以上の歴史により国民的祝日として定着。現行の昭和の日昭和天皇の生年月日
(1901年4月29日)「激動の日々を経て復興を遂げた昭和を顧みる」「みどりの日」を5月4日に移動させ、約15年の審議を経て法改正を実現。構想中の明治の日明治天皇生誕・明治節
(11月3日)近代化の苦難を乗り越え国づくりを成した明治を追思する(構想案)「文化」の理念をどこに移すか、憲法記念との切り離しをどう説明するかが課題。
表から明らかなように、「昭和の日」は崩御直後の空白期間に「みどりの日」というクッションを挟みつつも、4月29日が日本国憲法公布のような別の憲政史的事件と重複していなかったため、昭和という時代を回顧する趣旨へと法改正が比較的行いやすかった。対して11月3日は、「明治天皇の誕生日」と「平和憲法の公布日」という、戦前と戦後の価値観を象徴する二重の文脈が同一の日付に固着している。この重層構造こそが、改称議論を複雑化させている最大の要因だ。