芋煮の起源には諸説ありますが、山形県中山町が誇る「ひっぱりうどん」と並ぶ伝承、すなわち最上川舟運(しゅううん)起源説が最も有力視されています。芋煮会発祥の歴史と経緯を紐解くと、江戸時代中期、内陸の特産物であった紅花や米を酒田港経由で上方(京都・大阪)へ運んでいた舟運事業に行き当たります。
最上川の終着点の一つであった中山町長崎周辺では、上方からの荷物を積んだ船が戻ってきた際、荷受けの商人たちが集まるまでに数日間の待機時間が発生しました。退屈と寒さを紛らわせるため、船頭たちが京都から運んできた保存食の「棒鱈(ぼうだら)」と、川原周辺で手に入った「里芋」を鍋で一緒に煮て食べた「鍋越待合(なべこしまちあい)」が、現在の芋煮の直接の原型とされています。
明治時代に入ると、山形県に駐屯した陸軍歩兵連隊や米沢牛のブランド化に伴い、牛肉を食べる習慣が普及。棒鱈から牛肉へと主役が交代し、砂糖と醤油で味を調える現在の内陸スタイルが完成しました。川原という「水が潤沢に使え、火を焚いても延焼の危険が少ない公共空間」が定着したのも、舟運の船着き場で煮炊きしていた名残なのです。