スプリント指導の現場で頻繁に目にする誤った常識があります。その最たるものが「ももを胸につくくらい高く上げろ」という指導法です。この古典的なアドバイスを文字通り受け取ってしまうと、骨盤が後傾し、身体の重心が後ろへ取り残されたまま脚だけを空回りさせるという致命的なエラーフォームを招きます。
50メートル走 速い人の特徴をハイスピードカメラで解析すると、速い選手は自発的にももを高く引き上げているのではなく、地面を捉えた瞬間の強い反発力と反対側の脚の素早い引き戻しによって、「ももが結果的に高い位置まで跳ね上がっている」に過ぎません。意識的にももを上げようとすれば、腹直筋や大腿四頭筋に過剰な力みが生じ、スムーズな重心移動が完全に阻害されてしまいます。
また、ゴール直前で「歯を食いしばって全身全霊で突っ込む」という精神論も科学的には逆効果です。顎を突き出し、奥歯を強く噛み締めると、首から肩甲骨周りの僧帽筋群が硬直します。肩が上がると腕振りの支点がブレ、骨盤の滑らかな回旋運動がロックされてしまうのです。世界のトップ短距離走者がリラックスした表情で走るように、舌を上顎につけて軽く口を開け、顔面の筋肉を緩めた状態で走るほうが、神経伝達速度と筋弛緩の切り替えが円滑になり、最高速度を50メートルのゴールラインまで維持し続けることが可能になります。