佐渡を訪れる旅行者の多くが混同しやすいのが、有名な「史跡 佐渡金山(相川金銀山)」と「佐渡西三川ゴールドパーク(西三川砂金山)」の性格の違いです。この二者は地理的にも離れており、採掘されていた鉱物の形態も採掘時期の起源も大きく異なります。
世界遺産に登録された構成資産を紐解くと、佐渡の鉱山史は主に2つの柱で成り立っています。
1つ目は、佐渡北西部に位置する相川金銀山です。こちらは1601年に発見され、徳川幕府の財政を支えた鉱脈採掘(地下に縦横無尽の坑道を掘り進める鉱山)であり、江戸時代の手掘り技術から近代の機械化遺構までが壮大なスケールで残されています。
一方の2つ目が、ゴールドパークの舞台である西三川砂金山です。その歴史は相川よりも遥かに古く、今から約1,000年前の平安時代末期、説話集『今昔物語集』の「巻第二十六 佐渡国採金語」に記述がある鉱山は西三川を指していると伝えられています。ここでは地下の岩盤を掘るのではなく、山肌の風化した砂金層を切り崩し、水路を使って比重選鉱を行う「大流し(おおながし)」と呼ばれる伝統的土木手法が用いられました。
西三川の地形そのものが、平安から室町、戦国時代にかけて金掘り衆が山を崩し続けた生々しい歴史の痕跡です。ゴールドパークに隣接する山林には、大流しの水路跡や生活遺構が現在も保存されています。館内の展示室を見学してから体験に臨むと、自分がすくい上げる砂金の1粒に、上杉謙信の軍資金や戦国武将たちの野望が重なり、より深い知的好奇心を満たすことができます。