日龍峯寺の全貌|美濃清水の舞台造りと北条政子ゆかりの多宝塔を解剖

日龍峯寺の全貌|美濃清水の舞台造りと北条政子ゆかりの多宝塔を解剖

日龍峯寺の全貌|美濃清水の舞台造りと北条政子ゆかりの多宝塔を解剖を詳しくリサーチ! 読者が気になる 情報と解説を分かりやすく展開します。

日龍峯寺の開基は、社伝によると仁徳天皇の御代(5世紀前半)にまで遡ります。飛騨・美濃地方に猛威を振るっていた異形の豪族「両面宿儺(りょうめんすくな)」が、この高沢山の洞窟に潜んでいた龍を退治し、その霊を鎮めるために観音像を祀ったのが始まりと伝えられています。その後、天平年間(729〜749年)に泰澄大師が霊感を受けて一宇を建立し、本格的な寺院としての歩みを始めました。

「美濃清水」と呼ばれる最大の理由は、険しい断崖絶壁にせり出すように建てられた本堂の建築様式にあります。釘を使わずに木組みを組み上げる懸造り(舞台造り)が京都・音羽山清水寺の本堂と極めて似通っており、岐阜の山中に忽然と現れるその雄姿から古くより東濃・中濃地域を代表する「清水」として親しまれてきました。

さらに中世には、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝が亡くなった後、尼将軍として名高い北条政子が夫の菩提を弔うために本堂の再建と多宝塔の建立を寄進しました。現存する多宝塔は嘉応元年(1169年)頃の様式を残す鎌倉時代初期の建築と推定されており、岐阜県内に現存する木造建築物としては最古の金字塔です。武家政権の頂点に立った女性の祈りが、800年以上の時を超えて山間の静寂の中に刻まれ続けています。

中島 亮太
著者

中島 亮太

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。