乱射後、軽乗用車で逃走した馬込の足取りは、警察の懸命な追跡によって翌朝に判明しました。逃走現場から南へ約4km離れた丘の上に建つ「カトリック愛宕教会」の敷地内でした。
12月15日の夜明け前、教会敷地内に馬込の逃走車両が放置されているのを警察が発見。周囲を完全包囲し、慎重に捜索を進めたところ、午前7時35分頃、教会の屋外階段付近で頭部から血を流して倒れている馬込の遺体を発見しました。手元には犯行に使用された散弾銃が残されており、自らの口内または頭部に向けて発砲し自決したと断定されました。
なぜ馬込は最期の場所に「カトリック愛宕教会」を選んだのか。捜査関係者や教会関係者によれば、愛宕教会は彼が幼少期に母親と通い、洗礼を受けた原点の場所でした。自らの凶行によって社会から完全に孤立し、逃げ場を失った極限状態において、「自らの人生が始まった聖なる場所で終止符を打つ」という身勝手な救済と贖罪の意識が錯綜した心理的逃避であったと見られています。信仰の場を凶行の幕引きに利用された教会関係者や信徒にとっても、その衝撃と精神的打撃は計り知れないものでした。
事件当時のインターネット上(当時の2ちゃんねる等)では、逃走中の犯人像を巡って極めて激しい情報錯綜が起きました。大柄な体格と迷彩服という目撃情報から、佐世保という土地柄も手伝って初期段階では「米軍基地の兵士が乱射したのではないか」というデマが爆発的に拡散。その後、馬込の身元が判明すると、彼の異様な私生活やネット上の書き込み疑惑が次々と掘り起こされ、凄惨な犯行態様に対する怒りと恐怖の声がネット掲示板を埋め尽くしました。さらに、早朝の遺体搬送現場がテレビの報道特番で生中継された際の緊迫感は、多くの人々の記憶に生々しい傷跡を残すこととなりました。