市川猿之助が独身であり続けた決定的な理由は、個人の恋愛嗜好にとどまらず、澤瀉屋という特殊な家系環境と複雑な家族力学の中に根ざしています。
四代目猿之助の家族構成は、父である四代目市川段四郎、母の延子、そして本人の3人家族でした。幼少期から厳格な指導を受けつつも、一人息子として両親からの寵愛を一身に受けて育った猿之助は、成人後も両親と同居を続け、私生活の全般を母親に依存・管理される生活を送っていました。
さらに澤瀉屋の内部には、伯父である三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)と、父・段四郎との間の長年にわたる確執が存在しました。三代目が女優の藤間紫と出奔したことで家庭が崩壊し、いとこである香川照之(九代目市川中車)が長年歌舞伎界から疎外されていたという重い歴史があります。名跡を継承した四代目猿之助は、引き裂かれた一門を再統合し、座頭として一門の弟子や裏方を全員養っていかなければならないという強烈な強迫観念に苛まれていました。
そして2023年5月の事件で白日の下に晒されたのが、自身の身の回りの世話を担当していた俳優兼付き人の男性「M」との極めて親密な関係性でした。自宅から発見された遺書と見られる手紙には、この付き人男性に対する個人的な愛の言葉と、「全財産を相続させたい」という切実な遺志が記されていました。公判記録や報道各社の取材によって、猿之助が精神的な拠り所としていたのは伝統的な意味での「妻」ではなく、主従関係と私情が混ざり合った閉鎖的な人間関係であった実態が浮き彫りとなりました。