上七軒の歩みは、室町時代中期の文安元年(1444年)にまで遡ります。北野天満宮が一部焼失した際、その再建工事で余った用材を用いて7軒の水茶屋(茶店)が建てられたことが、「上七軒」という地名の直接的な由来です。社寺参拝者をもてなす休憩所として始まったこの地は、やがて桃山時代に大きな転機を迎えます。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が北野天満宮の境内で催した伝説的な「北野大茶湯」において、上七軒の茶店が献上した御手洗団子(みたらしだんご)の味と心尽くしを秀吉が絶賛。その褒美として、五ツ団子の紋章と茶屋株の公認という絶大な特権を与えられました。現在も上七軒の紋章として提灯や看板に掲げられている「繋ぎ団子」のデザインは、この史実に直結しています。
江戸・明治・大正を経て現代に至るまで、上七軒の舞妓・芸妓は舞踊の流派「花柳流(はなやぎりゅう)」の厳しい修練を重ね、芸事の質の高さで国内のみならず海外の鑑賞眼の肥えたVIPからも圧倒的な信頼を勝ち得てきました。華やかさを誇る他の花街と比較しても、「芸で立つ」という職人気質と落ち着いた佇まいが、上七軒固有のアイデンティティとして継承されています。