家禄の正しい読み方は「かろく」です。国語辞典や歴史事典における定義を整理すると、「主君がその家臣である武士に対して与えた世襲の俸禄(給料)」を指します。平安時代末期から萌芽が見られ、戦国時代を経て、江戸幕府の社会秩序の中で完全に制度化・世襲化されました。
混同されやすい言葉に「知行(ちぎょう)」や「秩禄(ちつろく)」がありますが、これらは対象とする範囲や時代区分が異なります。
まず「知行」との違いについて解説します。知行とは本来、土地とそこに住む農民を直接支配する権利を意味します。江戸時代の武士に対する給与形態は、大きく分けて次の2種類がありました。
- 地方知行(じかたちぎょう):一定の領地(村)を与えられ、そこからの年貢を自ら徴収する形態。上級武士である大名や高禄の旗本に適用された。
- 蔵米知行(くらまいちぎょう):幕府や藩の倉庫(蔵)から、現物の米を受け取る形態。中・下級武士の多くはこちらに属し、米の現物そのものが支給された。
つまり、「知行」は土地支配権を含む給与形態の名称であり、「家禄」はそうした形態を含めて家に対して代々支給される俸禄全般を指す包括的な概念です。
一方の「秩禄(ちつろく)」は、明治維新期に生まれた行政用語です。明治新政府は、江戸時代から引き継いだ世襲の「家禄」に加え、維新の功労者に一時的に与えた「賞典禄(しょうてんろく)」を合算し、士族や華族に支給した給与全体を「秩禄」と総称しました。つまり、「家禄は秩禄の一部(中核をなす前時代からの世襲給与)」という関係性にあります。
では、なぜ武士の給料は個人ではなく「家」に対して支払われたのでしょうか。その根底には、江戸時代の主従関係が「軍役(ぐんえき)の義務」と結びついていた事実があります。平和な時代であっても、武士は有事の際に定められた人数の兵や武器を揃えて出陣する義務を背負っていました。主君側から見れば、給料は労働の対価というより「家臣一族の軍事動員力を担保するための維持費」だったため、個人の能力に関わらず家を単位として世襲されたのです。