Q1:『紺碧の空』は早稲田大学の校歌とは違うのですか?
A1:全く別の楽曲です。早稲田大学の校歌は相馬御風作詞、東儀鉄笛作曲による『都の西北』であり、1907年に制定されました。『紺碧の空』は1931年に制定された「第一応援歌」であり、得点時や試合の勝負どころで歌われます。
Q2:作詞者の住治男さんはその後どうなったのですか?
A2:住治男は早稲田大学を卒業後、教員として後進の育成にあたりました。惜しくも太平洋戦争の戦禍に巻き込まれ、若くしてフィリピン・ルソン島で戦死されていますが、彼が残した詞は今も不朽の名作として歌い継がれています。
Q3:なぜ『紺碧の空』は古関裕而の出世作と言われるのですか?
A3:コロムビア入社後、西洋音楽志向の強さから歌謡曲が書けず契約解除寸前だった古関が、この曲の大ヒットによってメロディメーカーとしての才能を開花させ、会社からの信頼を勝ち取って専属契約を継続できたためです。