インターネット上の言説やSNSの書き込みでは、時に「青空」が特定の政治的主張やイデオロギー運動のテーマ曲のように語られるケースが見受けられます。しかし、これは楽曲の本質を見誤った一面的な解釈といえます。
真島昌利が描いたのは、体制への批判や集団的なアジテーションではありません。彼が歌ったのは、どこまでも「個」としての人間が抱える孤独と良心です。
「青空のある街に行こう」という結びの言葉にあるように、楽曲が提示しているのは「怒りによる分断」ではなく「静かなる祈りと包摂」です。正義を振りかざして誰かを断罪するのではなく、「生まれた場所が違っても、同じ青空の下で生きているじゃないか」という共通の地平を提示している点に、この曲の真の偉大さがあります。
また、「当時の日本の音楽シーンにおいて、ここまでストレートに人種差別を扱った曲はタブーだったのではないか」という議論もあります。しかしブルーハーツは、タブーを恐れるどころか、それを日常の当たり前の感情としてロックに昇華させました。彼らにとって反差別とは高尚な政治思想ではなく、人としてごく自然な「思いやり」の延長線上にあったのです。