インド神話において、阿修羅(アスラ)は帝釈天と果てしない戦いを繰り広げる戦闘魔神である。本来であれば、牙を剥き出しにし、憤怒の相を露わにした恐ろしい姿で描写されるのが常世のルールであった。
しかし、天平6年(734年)、亡き母・橘三千代の追善供養のために興福寺八部衆像の発願を命じた光明皇后は、その慣習を鮮やかに覆した。藤原氏の権力闘争と相次ぐ疫病、政変による混迷。血塗られた政治の最前線にいた皇后が求めたのは、力による威圧ではなく、自らの罪を省み、懺悔する姿だった。少年の繊細な肉体に宿された「戦い疲れた神」の佇まいは、当時の国家の苦悩そのものを映し出す鏡でもあった。