イザナギとイザナミの物語において、読者に最も強烈な衝撃を与えるのが「黄泉の国(よみのくに)」における訣別劇です。妻の死を受け入れられないイザナギは、死者の赴く地下世界へと足を踏み入れます。
御殿の扉越しに「愛する妻よ、私とあなたが作った国はまだ完成していない。戻っておくれ」と呼びかけるイザナギに対し、イザナミは「黄泉のかまどで炊いたものを食べてしまった(黄泉竈食ひ=よもつへぐい)ため、すぐには戻れません。黄泉の神と相談してまいりますので、その間、決して私の姿を見ないでください」と固く戒めました。
しかし、待ちきれなくなったイザナギは、櫛の歯を一本折って火を灯し、禁忌を破って暗闇の奥を覗き込んでしまいます。そこに横たわっていたのは、蛆(うじ)が湧き、八雷神(やくさのいかづちがみ)に取り憑かれたイザナミの無残に腐敗した死体でした。
恐怖に駆られたイザナギは脱兎のごとく逃走します。自らの恥部を見られたイザナミは激怒し、黄泉醜女(よもつしこめ)や千五百の軍勢、さらには自ら追いすがりました。イザナギは桃の実(意富加牟豆美命=オオカムヅミノミコト)を投げて追手を退け、現世と冥界の境界である「黄泉比良坂(よもつひらさか)」に千人がかりで動かす大岩(千引の岩)を据えて道を塞ぎました。
岩を隔てて対峙した二神の間で、神話史上最も凄絶な誓約が交わされます。
イザナミ:「愛しい夫よ、あなたがこのような仕打ちをするなら、私はあなたの国の人間を一日千人絞め殺しましょう」
イザナギ:「愛しい妻よ、お前がそうするなら、私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう」
この言霊の応酬によって、人類に「死」が訪れると同時に、それを上回る「生」が約束され、人口が増加していく生死の秩序が定まりました。同時に、イザナミは冥界の主宰神「黄泉津大神(ヨモツオオカミ)」となり、イザナギは現世へと帰還して禊を行うこととなったのです。