小林一茶(本名・弥太郎)は宝暦13年(1763年)5月5日、信濃国水内郡柏原村(現在の長野県上水内郡信濃町)の有力な農家に生まれました。北国街道の宿場町として栄えた地で育ちましたが、幼少期の平穏は長く続きませんでした。一茶がわずか3歳のとき、慈しんでくれた実母が急逝します。祖母の温かい手で育てられたものの、8歳のときに父が迎えた継母との折り合いは極めて悪く、10歳で祖母が他界すると、家庭内での孤立は決定的なものとなりました。
14歳で異母弟が誕生すると、家中に一茶の居場所は完全に失われます。実家で日常的に冷遇された一茶は、安永6年(1777年)、15歳の春に身一つで江戸へと奉公に出されることになりました。故郷を追われるように旅立った少年の胸中には、深い孤独と家族への拭いがたい愛憎が根を下ろしていました。
そんな生い立ちの影が色濃く投影された代表作が、あまりにも有名なこの句です。
「我と来て遊べや親のない雀」(われときて あそべやおやのないすずめ)
この句の現代語訳は、「親のいない子雀よ、こっちへ来て私と一緒に遊ぼうではないか」となります。童謡のように愛らしい響きを持ちますが、背景を知ると切なさが胸に迫ります。群れからはぐれて心細そうにチュンチュンと鳴く子雀に、一茶は実母を失い、家を追い出されたかつての自分自身の姿を重ね合わせていました。孤立無援の中で生きる小動物に語りかける言葉は、誰からも愛されなかった幼き日の自分を自ら抱きしめようとする、痛切な自己救済の祈りでした。