1992年4月25日午前5時45分頃、東京都足立区千住曙町の民家(通称・尾崎ハウス)の庭先で、全裸で泥まみれになり倒れている尾崎豊が住人によって発見されました。駆けつけた救急隊により一度は病院へ搬送されたものの、連絡を受けて駆けつけた妻・繁美さんと兄とともに自宅マンションへ帰宅。しかし正午過ぎに容体が急変し、再搬送先の日本医科大学付属病院で息を引き取りました。26歳5ヶ月での早すぎる急逝でした。
警察による司法解剖の結果、公式発表された直接の死因は「肺水腫」。肺に体液が溜まり呼吸困難に陥る病態です。しかし、全身に多数の打撲痕や擦傷があったこと、さらに体内から致死量を大幅に超える覚醒剤が検出されたことが後に判明し、世間には大きな疑惑が広がりました。単なる急性薬物中毒による事故死なのか、それとも暴行を受けたことによる他殺の可能性はないのかと、ファンの間やメディアで激しい議論が巻き起こることとなったのです。
遺族側が再捜査を求めて告訴状を提出する動きもありましたが、警察は事件性なし(自死または事故)として捜査を終結。公式な死去の理由は肺水腫による病死として処理されたものの、発見直前の空白の数時間に何があったのかという謎は完全には解明されておらず、現在も昭和・平成のカルチャー史における最大のミステリーの一つとして語られています。
尾崎豊の命日である4月25日には、埼玉県所沢市にある狭山湖畔霊園の墓所へ、今でも全国から多くのファンが花を手向けに訪れます。墓石には彼の代表作のフレーズや本人のサインが刻まれ、静かにファンを迎えています。