ネット上の情報空間には、恐怖症に対する大きなバイアスや誤謬が蔓延しています。最も悪質な誤解は、「ショッキングな画像を見て気持ち悪いと感じたら、即座にその恐怖症である」という単純化されたレッテル貼りです。
たとえば集合体恐怖症に関して、誰もが不快感を覚えるようなグロテスクな画像を直視して嫌悪感を抱くのは、人間として正常な感覚器の働きにすぎません。本来の恐怖症とは、「日常生活において無害なはずの刺激(イチゴの表面、パンの気泡、シャワーヘッドの穴)に対してまで病的な防衛反応が誘発され、通常の生活が破綻すること」を指します。ネット上で「自分もトライポフォビアだ」と自己申告するユーザーの相当数は、病態としての恐怖症ではなく、単なる正常な嫌悪反応を経験しているにすぎないという盲点が存在します。
また、対人関係に根ざす「視線恐怖症」や「社交不安」に関しても深刻な誤認が見受けられます。「内気な性格だから」「人見知りだから仕方がない」と性格論にすり替えられがちですが、心理療法の現場から見れば、これは「自己注目(Self-focused attention)の極端なループ」という認知プロセスのエラーです。「自分の視線が相手を傷つけているのではないか」「相手が自分を変な奴だと軽蔑しているに違いない」という過剰な仮説を脳内で真実として処理してしまい、その仮説を検証すること自体を避けるために他者との接触を断ってしまうのです。
回避行動を取れば取るほど、脳は「逃げたから助かったのだ」と誤った学習を行い、次回以降の恐怖をさらに倍増させます。この「回避による恐怖の固定化」こそが、性格のせいにして問題を放置した結果として生じる最大の落とし穴です。