竹島が現在のような実効支配下におかれることになった決定的な契機は、1952年(昭和27年)1月18日に当時の韓国大統領・李承晩が一方的に宣言した「海洋主権宣言(いわゆる李承晩ライン)」にあります。
李承晩ラインは国際法を無視して公海上に設定された境界線であり、その中に竹島が一方的に取り込まれました。当時、サンフランシスコ平和条約発効直前の主権回復期にあった日本に対し、韓国側はラインを越えた日本漁船を次々と拿捕。外務省の記録によると、日韓基本条約が締結されるまでの間に拿捕された日本漁船は328隻、抑留された日本人漁民は3,929人、死傷者は44人にのぼる甚大な被害が生じました。
1953年には韓国の武装組織が竹島に上陸し、1954年以降は警備隊宿舎、灯台、ヘリポート、接岸施設などの建造物を次々と設置。現在に至るまで韓国警察の「独島警備隊」が常駐する形での実効支配(不法占拠)が継続しています。
日本政府はこの不法占拠に対して厳重な抗議を継続するとともに、平和的解決を目指して1954年、1962年、2012年の3度にわたり国際司法裁判所(ICJ)への共同付託を韓国側に提案しました。しかし、韓国側はいずれの提案も拒絶しており、法廷での決着は実現していません。
こうした状況の中、島根県は2005年、1905年の島根県告示から100周年の節目を機に条例を制定し、毎年2月22日を「竹島の日」と定めました。県主催の記念式典などを通じて、国民世論の啓発と領有権確立に向けた活動が続けられています。