Q1:新撰組の隊士は全部で何人くらいいたのですか?
A1:結成当初の壬生浪士組時代は20名前後でしたが、最盛期(西本願寺屯所時代)には約200名〜300名規模の部隊へと拡大しました。結成から解散までに隊に在籍した人物の総数は、短期間の滞留者を含めると約1,000名近くに達すると推計されています。
Q2:「新撰組」と「新選組」、どちらの表記が正しいですか?
A2:歴史的な公文書や当時の隊士自筆の文書では「新撰組」「新選組」双方が用いられており、どちらも正解です。近藤勇自身も両方の文字を使用しています。現代の歴史教科書やメディアでは一般に「新選組」が多く用いられますが、幕府文書などでは「新撰組」の表記も数多く残されています。
Q3:なぜ油小路の変で藤堂平助は討たれたのですか?
A3:伊東甲子太郎らとともに新撰組を離脱して「御陵衛士」を結成した藤堂平助は、新撰組から裏切りとみなされました。土方らは伊東を暗殺後、その遺体を油小路に放置して罠を張り、遺体を引き取りに来た御陵衛士を襲撃。近藤は試衛館以来の仲間である藤堂を逃がそうと指示していましたが、事情を知らない新参隊士によって斬殺されました。