2011年7月3日、仙台市の宮城県庁応接室で起きた出来事は、政治報道の歴史における決定的な転換点となりました。初代の復興担当大臣として現地入りした松本龍氏は、宮城県の村井嘉浩知事との会談に臨みました。村井知事が自衛隊出身であることや、公務の都合で部屋への到着が数分遅れたことが、松本氏の苛立ちを招く発端となります。
部屋に入室してきた村井知事に対し、松本氏は険しい表情を崩さず、差し出された握手を拒絶。着席するなり「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと何もしない」「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない」と厳しい口調で突き放しました。さらに、会談終了直後、室内にいた報道陣を鋭く見据えながら「今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもう、その社は終わりだから」と言い放ったのです。
当時、地元局である東北放送(TBC)がいち早くこの映像をノーカットに近い形で放映すると、動画は瞬く間に全国ネットやインターネット空間へ拡散しました。被災者が避難生活で極限状態に置かれていた中、救援と復旧を担うはずの閣僚が自治体の首長を威圧し、報道の自由を脅かす姿は国民の激しい怒りを買いました。
翌日、自身の態度について「九州人だから言葉が荒かった」「血液型がB型で短気」などと釈明したことがさらに火に油を注ぎ、与野党双方からの辞任要求が殺到。就任からわずか9日後(2011年7月5日)、松本氏は菅直人首相(当時)に辞表を提出し、前代未聞のスピード辞任劇となりました。この辞任理由の根底にあったのは、単なる失言ではなく、被災自治体を対等なパートナーとみなさず、上意下達の力関係で従属させようとした権力姿勢そのものへの拒絶でした。