映画史上の「事件」として記録されるこの現場において、マーロン・ブランドが見せた圧倒的な演技アプローチと、その代償として生じた爪痕を検証します。ブランドはメソッド演技法の権威として知られていましたが、本作における彼のアプローチは、役柄に没入する次元を超えて「自己自身の内面の闇」をスクリーンに直接垂れ流す特異なものでした。
ベルトルッチ監督とのセッションにおいて、ブランドは自身のトラウマ、父親への憎悪、自堕落な私生活をポールのモノローグに大量に即興で組み込みました。その結果、映画におけるポールの芝居は、恐ろしいほどの生々しさと詩的な切実さを獲得し、アカデミー主演男優賞にノミネートされるほどの批評的絶賛を浴びることになります。しかし、この自己暴露的な狂気は、共演者に対する過度な加害性を伴うものでした。
事件の経緯を時系列で整理すると、現場の歪んだ力学が浮き彫りになります。
- 1972年 撮影期間中:撮影台本にない演出が現場で突如決定。マリア・シュナイダーは抗議の機会を奪われたままテイクを重ねさせられ、強い精神的ショックを受ける。
- 1972年12月 世界公開:ニューヨーク映画祭でのプレミア上映を皮切りに、世界中で熱狂と検閲の嵐が巻き起こる。マリアは一躍「セックスシンボル」として消費される。
- 1970年代中盤〜2000年代:マリアは作品の過激なイメージに縛られ、鬱病と薬物依存に苦しむ。自身の尊厳を守るため、脱衣を要求される役柄を頑なに拒否し続けるキャリアを歩む。
- 2007年 マリアの一次告白:英メディアのインタビューで、当時のトラウマと監督・ブランドに対する消えない不信感を明確に発言。
- 2011年 マリアの逝去:癌のため58歳の若さで世を去る。名誉が真に回復されたとは言えない状況であった。
- 2016年 映像流出と世界規模の炎上:ベルトルッチ監督の過去の発言映像(合意なしの演出を認めたもの)がSNS上で拡散し、ハリウッド著名人を含む世界中から抗議の声が爆発。
現場取材記録や当時の関係者証言によると、マリアは撮影後、ブランドに対して「二度と口を利かない」と激怒し、ベルトルッチ監督とは生涯絶縁状態となりました。ブランド自身もまた、本作で自身の内面を削りすぎたことに激しい消耗感を覚え、監督との関係に距離を置くようになります。結果として残されたものは、映画史に残る怪作という名声と、一人の若い女性の人生を不可逆的に破壊したという消し去れない事実でした。