主計町茶屋街の散策を始める前に、まず押さえておきたいのが主計町茶屋街の読み方です。難読地名としても知られるこの街は「かずえまち ちゃやがい」と読みます。加賀藩の重臣であった富田主計(とだかずえ)の下屋敷がこの地にあったことに由来しており、武家文化の土台の上に花街の歴史が花開いたという稀有な背景を持ちます。
金沢には「ひがし」「にし」「主計町」という金沢三茶屋街の歴史と現在が息づいています。ひがし茶屋街とにし茶屋街が1820(文政3)年に加賀藩の公認を得て開かれたのに対し、主計町が茶屋街として公式に発展したのは明治初期のことでした。浅野川沿いの狭小な土地に、川を臨む町家がぎっしりと連なる景観は、北陸の厳しい冬に耐える機能性と、川風を楽しむ粋な遊び心が融合した独自の建築美を形成しています。
多くの旅行者が抱く最大の疑問が「ひがし茶屋街との違いは何か」という点です。浅野川大橋を挟んでわずか徒歩数分の距離に位置しながら、両者の空気感はまったく対照的です。ひがし茶屋街が広い目抜き通りに金箔ソフトや工芸品店が並び、国内外の観光客で賑わう「陽」の観光拠点であるならば、主計町は浅野川のせせらぎと千本格子(木虫籠:きむすこ)が織りなす「陰」の美学を宿した隠れ家といえます。
特筆すべきは、主計町がたどった街名保全の足跡です。昭和45(1970)年の住居表示変更に伴い、主計町の名は一度地図上から消滅し「尾張町2丁目」に統合されました。しかし、伝統ある街の名と誇りを守ろうとする住民の熱心な運動が実を結び、平成11(1999)年に全国で初めて公的に旧町名が復活しました。この事実ひとつをとっても、主計町が単なる観光地ではなく、住まい手の誇りによって支えられている生きた町であることが理解できます。