伊藤リオンという人物を語る上で欠かせないのが、その特異なバックボーンと転落の軌跡です。パナマ人の父親と日本人の母親の間に生まれた彼は、幼少期から卓越した身体能力を発揮し、中学時代には名門東京ヴェルディ1969ジュニアユースに所属していました。
当時の指導者やチームメイトが「将来の日本代表候補」「フィジカルとスピードは世代屈指」と口を揃えて絶賛したエリート街道から、なぜ転落してしまったのか。発端は高校進学前後における素行不良でした。クラブを退団した彼は、世田谷や杉並を拠点とする暴走族グループへと急速に傾倒していき、やがて東京都内の繁華街で恐れられた「関東連合」の傘下組織において、突出した喧嘩の強さから武闘派の象徴として頭角を現すことになります。
運命が暗転したのは2010年11月25日未明。西麻布の雑居ビルにある会員制ダーツバーで、泥酔状態の市川海老蔵氏と関東連合関係者の間で起きた口論に介入し、海老蔵氏に対して左頬陥没骨折や前歯の損傷など全治6週間の重傷を負わせました。日本中を巻き込む大スキャンダルへと発展したこの事件で、同年12月に傷害容疑で逮捕。公判では正当防衛を一部主張したものの、2011年に懲役1年4か月の実刑判決が確定しました。
服役を終えて2012年に社会復帰した際、周囲は彼が裏社会へ復帰するのか、それとも堅気の生活に戻るのかを注視していました。しかし、彼を待ち受けていたのは暴力団排除条例の厳格化と、世間の冷酷な視線でした。