志村さんの笑いが今なお風化しない最大の理由は、その裏に隠された徹底的な計算と努力にある。1974年にザ・ドリフターズの正式メンバーに昇格して以来、彼はコントの小道具のミリ単位の配置や、タライが落ちてくるタイミング、効果音の音量に至るまで、鬼気迫るこだわりを持って演出に当たっていたという。
元テレビスタッフの一人は明かす。「志村さんはカメラが回っていない場所では口数が少なく、常にメモ帳を手にして人間観察をしていました。酔っ払いの仕草も、変なおじさんの奇妙な動きも、すべて日常の観察から抽出したエキスを極限までデフォルメしたもの。一見すると突拍子もないバカバカしさに見える動作の一つひとつが、実は緻密に計算された『劇的構造』だったのです」。このプロフェッショナリズムこそが、半世紀近く経っても色あせない映像の強度を担保している。