東京を訪れた外国人が治安と並んで必ず直面するカルチャーショックが、「街中にゴミ箱が一切見当たらないのに、道路にゴミが落ちていない」という現象だ。パリやローマ、サンフランシスコなどでは街角ごとに大型のゴミ収集箱が設置されているにもかかわらず、路面には吸い殻やファストフードの包み紙が散乱しているケースが珍しくない。そのため、「メガロポリス東京の清潔さはなぜ可能なのか」という問いは、海外の知恵袋系サイト(Quora等)でも定番の議論テーマとなっている。
公共空間からゴミ箱が姿を消した契機は、1995年の地下鉄サリン事件を受けた防犯・安全対策の強化にあった。行政がゴミ箱を撤去した際、欧米の都市計画の常識であれば街がゴミで溢れかえると考えられたが、日本では「自ら出したゴミは自宅に持ち帰って分別する」という私的規範が学校教育や家庭環境を通じて根強く定着していたため、破綻を免れた歴史的経緯がある。
さらに、目に見えない場所で稼働し続けるプロフェッショナルな清掃インフラの存在も見逃せない。深夜の終電後に行われる駅構内の徹底的な高圧洗浄や、繁華街で早朝から活動する清掃車両、ボランティア団体による美化活動が、都市の美観を底支えしている。また、自動販売機の横に設置された空き缶・ペットボトルのリサイクルボックスに一般ゴミをねじ込まないよう呼びかける社会的な同調圧力も、メガロポリスの清潔さを守る見えない防壁となっている。