婚約騒動の前年、1991年11月に発売された篠山紀信撮影によるヌード写真集『Santa Fe(サンタフェ)』は、発行部数150万部を超える空前のメガヒットを記録しました。18歳という若さ、トップアイドルとしての絶頂期に放たれたこの作品は、日本社会の写真集に対する概念を根底から覆す歴史的モニュメントとなりました。
しかし、その舞台裏では母娘の壮絶な心理戦が繰り広げられていました。篠山紀信氏が生前の取材や対談で明かしたところによると、ロケ地ニューメキシコ州サンタフェのホテルで、光子がりえに対し「脱ぎなさい。今の一番美しい姿を残すべき」と強く迫ったとされています。当初は戸惑いを見せたりえも、最終的には母の意図と表現の美しさを理解し撮影に応じましたが、この出来事は「娘を商品として支配するステージママ」という世間の批判を決定付ける要因にもなりました。
1990年代半ばから後半にかけて、二人の関係は修復困難な亀裂を抱えます。激痩せ、出演舞台の直前降板、自殺未遂騒動と過熱するメディアスクープの渦中で、母の強力なコントロールは次第に娘の精神的重圧へと変わっていきました。りえはやがて光子のもとを離れ、アメリカ・サンディエゴでの長期療養と単身生活を選択します。それは、共依存の鎖を断ち切り、一人の表現者として自立するための痛切な「母からの逃走」でした。