第11代・中宗から第13代・明宗の治世に暗躍した鄭蘭貞は、両班(貴族階級)の父と妾の間に生まれた庶子という差別的な境遇を跳ね返し、富と権力を手中に収めた策略家です。王族の親戚で権力者だった尹元衡(ユン・ウォニョン)の妾となり、正妻を毒殺して自らが正妻の座に就きました。
鄭蘭貞の真の強みは、尹元衡の姉である文定王后(ムンジョンワンフ)との強固な結託でした。幼少の明宗に代わって垂簾聴政を行った文定王后の威光を背に、専売特権の掌握や政敵の排除を主導。国家財政を揺るがすほどの蓄財を行い、ついには外命婦の最高位である「貞敬夫人」の称号まで手に入れます。
しかし、最大の庇護者であった文定王后が1565年に世を去ると、朝廷内での立場は一変。士林派からの弾劾が一気に噴出し、配流先で追い詰められた鄭蘭貞は、自ら毒を仰いで命を絶つ(服毒自殺)という最期を迎えました。