阿骨打を頂点とする金朝皇室の構造を理解するには、その家系図と後継者継承のメカニズムを紐解く必要があります。女真族の伝統では、権力は必ずしも「父から長子へ」ではなく、実力のある「兄弟間」で継承される慣習がありました。
阿骨打の父である劾里鉢(景祖)には多数の男子がおり、阿骨打はその次男でした。1123年に阿骨打が陣没した際、帝位を継いだのは彼の実子ではなく、同母弟の呉乞買(ウキマイ/第2代皇帝・太宗・完顔晟)でした。太宗は兄の遺志を継ぎ、1125年に逃亡中だった遼の天祚帝を捕らえて遼を完全に滅ぼし、さらに北宋の首都・開封を陥落させるという大業を成し遂げました。
しかし、阿骨打の実子たちもまた、中国全土を震撼させる傑物揃いでした。
- 完顔宗幹(長男):漢文化に深く精通し、初期金朝の国家制度設計や宮廷政治を主導。のちの第4代皇帝・海陵王の実父。
- 完顔宗望(斡離不/次男):北宋征服戦における司令官。迅速な電撃作戦を得意とし、宋の人々から「二太子」と恐れられた名将。
- 完顔宗弼(兀朮/ウジュ/四男):南宋との死闘で知られる金朝屈指の英雄。岳飛(がくひ)の好敵手として中国の講談や歴史小説に不滅の名を残す。
- 完顔亶(第3代皇帝・熙宗):阿骨打の嫡孫(嫡子・完顔宗峻の子)。漢化政策を急進化させるが、晩年は猜疑心から粛清を重ね暗殺された。
阿骨打の子孫たちは強大な軍功を誇示しましたが、その血筋は凄惨な内部抗争に呑み込まれることになります。部族合議制から中華風の皇帝専制政治へ脱皮する過程で、第4代皇帝・海陵王(完顔亮)による大粛清が勃発し、太宗(呉乞買)の血統は根絶やしにされ、権力は再び阿骨打の直系子孫へと集中していきました。大帝国へと急成長した代償として、一族相食む骨肉の争いは避けられない宿命だったのです。