マリー・アントワネットの処刑後、残された子供たちが辿った運命はあまりにも残酷でした。国王一家には4人の子供が生まれましたが、長男と次女は革命前に病死しており、革命の惨禍に巻き込まれたのは長女マリー・テレーズと次男ルイ=シャルルの2人でした。
王位継承者として「ルイ17世」と呼ばれた次男ルイ=シャルルは、タンプル塔の暗黒街のような独房に閉じ込められ、靴職人アントワーヌ・シモンの手によって徹底的な虐待と洗脳を受けました。日光すら入らない不衛生な部屋で放置された少年は、皮膚病と重度の結核性関節炎を患い、わずか10歳で孤独死を遂げました。2000年に行われたDNA鑑定により、パリ近郊のサン=ドニ大聖堂に保管されていた心臓の組織が、マリー・アントワネットの遺髪のDNAと一致したことで、この悲劇的な少年の死は正式に実証されています。
唯一生き残ることができた長女マリー・テレーズは、オーストリア軍の捕虜となったフランス兵との身柄交換によって1795年に釈放されました。従兄であるアングレーム公爵と結婚し、王政復古期に再びフランスの地を踏みましたが、革命の恐怖と家族を皆殺しにされたトラウマから、生涯にわたって笑顔を見せることはほとんどなく、「悲しみの公爵夫人」と呼ばれました。ハプスブルク帝国とフランス王国を結ぶ架け橋として始まった血脈は、革命の炎によって無残にも引き裂かれたのです。