清の最後の皇帝・溥儀はなぜ一市民に?映画では語られない衝撃の真相

清の最後の皇帝・溥儀はなぜ一市民に?映画では語られない衝撃の真相

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1908年、西太后の指名によって第12代清朝皇帝(宣統帝)に即位した愛新覚羅溥儀。しかし、その即位からわずか3年後の1911年に勃発した辛亥革命により、1912年に正式に退位を余儀なくされました。このとき溥儀はわずか6歳。これが268年続いた清朝の実質的な終焉でした。

退位後も「清室優待条件」に基づき、紫禁城の内廷で皇帝としての格式を保ったまま生活を続けましたが、1924年の北京政変によって突如として城外へ追放されます。その後、天津の日本租界を経て、1932年には大日本帝国陸軍(関東軍)の主導のもとで樹立された満洲国の執政に就任。1934年には「満洲帝国皇帝(康徳帝)」として再び帝冠を戴くことになります。

1945年8月の日本の敗戦に伴い満洲国は崩壊。溥儀は日本への亡命を試みる途中の奉天(現・瀋陽)飛行場でソ連軍に拘束され、ハバロフスクなどの収容所に約5年間抑留されました。1950年に中華人民共和国へ身柄を引き渡されると、撫順戦犯管理所に収容され、約10年間にわたる「思想改造」を受けることになります。

1959年12月、毛沢東による特赦令を受けて釈放された溥儀は、一介の民間人として北京に戻りました。周恩来首相の配慮により、1960年からは北京植物園に勤務し、植物の剪定や温室の管理、チケット切りなどの作業に従事。1962年には漢民族の看護師であった李淑賢(り・しゅくけん)と再婚し、生涯で初めて「普通の家庭生活の温もり」を経験しました。

晩年は中国人民政治協商会議の全国委員に選出され、歴史資料の研究・編纂に尽力。しかし、文化大革命の混乱が激化する最中の1967年10月17日未明、腎臓がんおよび尿毒症により北京市内の病院で息を引き取りました。享年61。皇帝から一市民へと至るその生涯は、世界の近現代史においても類を見ない特異な結末を迎えました。

山崎 陸
著者

山崎 陸

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