ドリフターズが国民的な熱狂を生み出した背景には、個性の異なる才能がぶつかり合い、奇跡的なバランスで調和していた歴史があります。すでに旅立った4名のメンバーについても、その最後と脱退・急逝の真相を客観的に再確認しておく必要があります。
いかりや長介:厳格なリーダーが残した「だめだこりゃ」の美学
2004年3月20日、リーダーのいかりや長介さんが原発不明頸部リンパ節がんのため72歳で逝去しました。グループを統率する絶対的な権力者として、毎回のネタ作りやリハーサルに妥協を許さなかったいかりやさんですが、晩年は映画『踊る大捜査線』の和久平八郎役などで日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するなど、名俳優としての地位を確立しました。自伝『だめだこりゃ』に記された、メンバーへの複雑な愛憎と敬意は、芸能史に残る名著として読み継がれています。
荒井注:体力の限界と美学が生んだ「志村への世代交代」
1974年、グループの看板コメディアンだった荒井注さんが突如脱退を表明しました。ネット上ではいかりやさんとの「不仲説」が根強く囁かれましたが、当時の公式会見や本人の証言によると、最大の脱退理由は「過密スケジュールによる体力と気力の限界」でした。当時40歳代を迎えていた荒井さんは、連日連夜の生放送コントと過酷な拘束時間に疲弊し、自ら身を引く決断を下しました。この脱退によって、当時ボーヤ(付き人)だった志村けんさんが正式メンバーへ昇格し、グループは第二の黄金期を迎えることになります。荒井さんは2000年2月、移住を予定していたハワイ行きの直前に急性心不全により71歳で急逝しました。
志村けん:日本中を震撼させた2020年春の悲劇
2020年3月29日、志村けんさんの急逝は日本社会に未曾有の衝撃を与えました。死因は新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎(享年70)。未知のウイルスが猛威を振るい始めた初期、感染判明からわずか数日での旅立ちでした。遺族との対面すら厳しく制限された当時の状況は、感染症の恐ろしさを全国民に刻み込む契機となりました。盟友の加藤茶が追悼特番の弔辞で震える声で読み上げた「志村、ひどすぎるぞ。お前が俺たちより先に逝くなんて」という言葉は、今なお人々の胸を締め付けています。
仲本工事:突然奪われた日常と交差点事故の真相
2022年10月19日、仲本工事さんが横浜市西区の交差点で歩行者として車にはねられ、急性硬膜下血腫のため81歳で急逝しました。事故現場は信号機のない横断禁止場所であったことが警察の捜査で明らかになっており、晩年の住環境や生活実態をめぐって一部週刊誌による過熱報道も起きました。しかし、音楽と体操で培った類まれな身体能力を活かし、グループの屋台骨を静かに支え続けた仲本さんの功績は、理不尽な事故によって損なわれるものではありません。