橋上秀樹氏の指導者としての土台を理解するうえで、避けて通れないのがその現役時代の経歴です。千葉県立安田学園高校から1983年ドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団。当初は捕手としてプロの門を叩いたものの、層の厚い捕手陣のなかで外野手へと転向を余儀なくされました。
転機となったのは、1990年に野村克也氏がヤクルトの監督に就任したことです。野村監督が提唱した「ID野球(Import Data野球)」は、単なるデータ活用にとどまらず、「人間的成長なくして技術の進歩なし」「根拠を持った準備」を求める哲学でした。橋上氏は当時を振り返るインタビューや手記のなかで、次のように述懐しています。
「それまではボールが来たら振る、飛んできたら捕るという感覚だけで野球をやっていた。しかし野村監督のミーティングに出席して初めて、野球というスポーツがこれほど頭を使うチェスのような競技だったのかと頭を殴られたような衝撃を受けた」(自著より要約)
1992年、1993年のリーグ連覇、そして日本一を経験するなかで、橋上氏は右の代打の切り札、あるいは手堅い守備固めとしてチームを支えました。決してレギュラーとしてタイトルを総なめにしたわけではありません。しかし、「控え選手としてベンチから9イニングの攻防をつぶさに観察し続けた日々」こそが、相手ベンチの思惑や投手の心理的動揺を察知する卓越した観察眼を育んだのです。その後、日本ハムファイターズ、阪神タイガースを渡り歩き、2000年に現役を引退しました。