初期ドラえもんの真相|太った体型と狂気の言動、幻の日テレ版を解剖

初期ドラえもんの真相|太った体型と狂気の言動、幻の日テレ版を解剖

初期ドラえもんの真相|太った体型と狂気の言動、幻の日テレ版を解剖にまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。

アニメ史における最大のミステリーにして、初期ファンが必ず行き着く深淵が、1973年4月1日から9月30日まで日本テレビ系列で放映された日テレ版ドラえもん(全26回・52話)の存在です。現在広く知られるテレビ朝日版(1979年放送開始)よりも6年も前に、すでにドラえもんは地上波でアニメ化されていました。しかし現在、この作品は公式の再放送や映像ソフト化が一切行われておらず、ファンの間では「幻のドラえもんアニメ」として語り継がれています。

当時制作を手がけたのは、アニメ制作会社「日本テレビ動画」でした。この作品の最大の特徴は、キャスティングにあります。ドラえもん初期声優として最初に起用されたのは、後に名優・声優として名を馳せる富田耕生氏でした。富田氏の演じるドラえもんは、「世話焼きで下町気質の頑固親父」のような太くハスキーな声であり、現代の甲高いアニメ声とは全く異なるアダルトな泥臭さを放っていました。

ところが、放映途中の第14回(1973年7月1日放送)から、突然声優が交代します。2代目として抜擢されたのが、後に『銀河鉄道999』の星野鉄郎や『ドラゴンボール』の孫悟空役で知られる野沢雅子氏でした。野沢氏への交代によって、ようやくドラえもんは「口うるさい親父」から「やんちゃで親しみやすい少年風ロボット」へとトーンが調整されたのです。

なぜ日テレ版は突如として終了し、歴史の闇に葬られたのか――ネット上では「原作者の藤子先生が激怒して封印した」という俗説が長年まことしやかに囁かれてきました。しかし、当時の関係者である日本テレビ動画の制作主任・真佐美ジュン氏の証言手記や各種メディア史の取材データを検証すると、真実は全く異なる経済的・構造的トラブルであることが判明しています。

放送当時、番組の視聴率は平均で約6.6%と決して惨敗ではなく、後半に向けて上昇傾向にありました。日本テレビ側も放映延長を打診していたと記録されています。しかし、制作会社である日本テレビ動画の実質的経営者が突如として失踪し、会社が事実上の倒産に追い込まれたのです。制作会社が消滅したことで原版ネガフィルムの権利関係が極めて曖昧になり、散逸や散乱が発生。さらに1979年にテレビ朝日系列でシンエイ動画による新シリーズがメガヒットを記録したことで、版権元である藤子スタジオや小学館としても「日テレ版」を積極的に表に出す商業的メリットが失われ、結果として事実上の「封印」状態が固定化されるに至りました。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。