ふたりの出会いは2006年秋、都内のクラブイベントでの交流がきっかけとされています。2007年の映画舞台挨拶における騒動で芸能活動が停滞していた彼女にとって、世界中を飛び回るクリエイターの高城剛は、既存の芸能界の枠組みを飛び越えるためのメンターであり、最大の理解者でした。2009年1月7日に婚姻届を提出し、明治神宮での挙式や奄美大島での皆既日食パーティーなど、既存の枠にとらわれない結婚生活をスタートさせました。
しかし、破綻へのカウントダウンは予想以上に早いスピードで進みます。沢尻エリカの離婚経緯を時系列で振り返ると、その対立の深さが浮き彫りになります。
- 2009年1月:入籍・挙式。その後、スペインを拠点に新生活をスタート。
- 2010年4月:一部メディアで不仲・離婚危機が報道。沢尻エリカ本人が自身の公式サイトや会見で「離婚の意思」を表明。
- 2011年1月:所属事務所エイベックス・マネジメントとの専属契約締結に向け、離婚成立を条件とする合意が取り沙汰される。
- 2011年5月:沢尻エリカ単独で離婚届への署名捺印を完了したと発表するも、高城剛側が受理に応じず膠着状態へ。
- 2013年12月26日:都内区役所に離婚届が正式受理され、約3年8か月に及ぶ泥沼協議に終止符。
長引いた最大の要因は、単なる感情の縺れにとどまらず、海外拠点のマネジメント会社運営やスポンサー契約、日本の大手芸能プロダクションへの復帰計画が複雑に絡み合っていた点にあります。最終的に沢尻エリカの離婚における慰謝料は0円、財産分与もなしという完全な円満合意(書類上の形式)として決着しました。