少年Aは1997年10月、神戸家庭裁判所により第3種少年院(現・医療少年院)送致の保護処分を受け、関東医療少年院に収容されました。ここで約7年間にわたる精神療法と矯正教育を受け、2004年3月に仮退院、2005年に本退院(保護観察終了)となりました。この過程で「精神的な安定を得て、更生への道を歩み始めた」と当局から説明されましたが、社会復帰の実態は平穏なものではありませんでした。
世間に決定的な衝撃を与えたのが、2015年6月に太田出版から刊行された少年Aの手記『絶歌』です。この自著において少年Aは犯行時の心理描写や遺族への贖罪の言葉を綴ったものの、被害者遺族への事前連絡や承諾は一切得られていませんでした。
出版直後には公式ホームページを立ち上げ、自身の奇怪な創作物やメッセージを公開するなど、更生とは程遠い自己顕示欲を露呈したことで、世論から猛烈な批判を浴びました。多くの書店で『絶歌』の販売自粛や撤去が行われ、被害者遺族側は出版の差し止めと回収、印税の受け取り拒否を表明するなど、被害者感情を決定的に踏みにじる事態へと発展しました。