なぜ軽井沢は別世界なのか?東京と気温差5度の科学的根拠と避暑地の真実

なぜ軽井沢は別世界なのか?東京と気温差5度の科学的根拠と避暑地の真実

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今でこそ日本を代表する高級リゾートとなった軽井沢ですが、かつては中山道六十九次の難所・碓氷峠の西側に位置する、寒村の宿場町にすぎませんでした。明治維新によって宿場町としての役割を終え、衰退の一途をたどっていたこの地に光を当てたのが、軽井沢避暑地発祥の理由となる1人の英国人宣教師の足跡です。

1886(明治19)年夏、カナダ生まれの英国聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー(A.C.ショー)が、病気療養と布教の帰途に軽井沢を訪れました。ショーは、青い空と澄んだ冷気、周囲を取り囲むカラマツやモミの原生林に息を呑み、自らの故郷スコットランドのハイランド地方を強く思い起こしたと書き残しています。

当時の特番インタビューや郷土資料で紹介されるショーの手記には、この地を「屋根のない病院(Hospital without a roof)」と激賞した言葉が記されています。結核などの呼吸器疾患や夏の消耗熱に苦しむ人々にとって、この冷涼で清浄な空気そのものが最高の良薬であると確信したのです。ショーは1888年に軽井沢初となる木造の別荘を建て、友人であった東京帝国大学の外国人教師や外交官たちにその魅力を熱心に伝えました。

これが避暑地の歴史の幕開けでした。西洋人たちが持ち込んだテニス、サイクリング、洋風建築の文化は、やがて旧華族や政財界の重鎮、文豪たちへと波及していきます。暑熱を逃れる単なるレジャーにとどまらず、自然の静けさの中で思索を深め、心身の健康を取り戻す「サナトリウム(保養地)」としての精神的バックボーンが、140年を経た現在も街の風格を形作っています。

石川 優花
著者

石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。