違い鷹の羽を語る上で欠かせない歴史的事件が、元禄赤穂事件(忠臣蔵)です。悲劇の主人公である播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の家紋こそが、まさに「丸に違い鷹の羽」でした。戦国大名としての浅野家は、豊臣秀吉の正室・ねね(北政所)の実家筋にあたる名門であり、安芸広島藩42万石を治めた宗家をはじめ、一族全体が違い鷹の羽を用いていました。赤穂浅野家はその有力な支藩であり、この名紋を掲げていたのです。
松の廊下での刃傷事件と浅野内匠頭の即日切腹という衝撃的な結末から、「浅野内匠頭と同じ家紋だから縁起が悪いのではないか」「浅野の改易に伴って庶民が忌み嫌ったのではないか」という俗説を耳にすることがあります。しかし、当時の史料や大衆文化の記録を検証すると、現実は正反対でした。忠臣蔵が『仮名手本忠臣蔵』として人形浄瑠璃や歌舞伎で空前の大ヒットを記録すると、主君に義を尽くした赤穂浪士の物語は庶民の熱狂的な共感を呼び、浅野家のシンボルであった鷹の羽紋は、むしろ「忠義と気骨ある武士の鑑」として庶民の憧れの的となったのです。
歴史上の著名人を見渡しても、丸に違い鷹の羽 有名人 歴史上の人物の顔ぶれは多彩を極めます。浅野一族にとどまらず、幕末の老中首座として日米修好通商条約の締結に尽力した阿部正弘(備後福山藩主)の阿部氏や、明治の文豪・夏目漱石、福澤諭吉といった近代日本の礎を築いた人物たちの家系にも鷹の羽紋が見られます。さらに鷹の羽紋 武家 苗字との関連では、菊池、阿部、浅野、高橋、小山などの有力氏族をはじめ、全国各地の多様な苗字へ広く普及していきました。