高校を卒業後、坂東龍汰はすぐに上京したわけではありませんでした。北海道の旅館や飲食店でアルバイトをしながら、写真や絵画の制作を続け、自らの進路を模索する日々を送っていました。そんなモラトリアムの時期に、息子の背中を強烈に押し出したのが父親でした。
「東京へ行け。20歳になるまでに自分の力で勝負してこい」
映画監督を目指して若き日に海を渡った父親だからこそ、都会の荒波に揉まれる経験の大切さを痛感していたのでしょう。父親の叱咤激励を受けた坂東は、バイトで貯めた資金を手に単身東京へ進出。知人の紹介を通じて現事務所(鈍牛倶楽部)のオーディションを自ら受け、見事に所属を勝ち取りました。
上京後も父親との絆は固く結ばれています。父親が手塩にかけて育てたワインが自宅に届いたり、出演作を北海道の実家で父親が誇らしげにチェックしたりと、互いを一人の表現者として認め合う特別な関係が続いています。