科学的根拠がないにもかかわらず、なぜこれほど強固な言説が日本社会に定着したのでしょうか。その源流を辿ると、ある著名な学術理論の「致命的な誤読と文脈のすり替え」に行き着きます。
第二次世界大戦後、イギリスの精神分析医ジョン・ボウルビィは、戦争孤児が集団生活を送る施設で育った子どもたちを調査し、乳幼児期に特定の養育者との持続的で情緒的な絆(愛着=アタッチメント)が得られない場合、その後の心身の発達に遅れや障害が生じるという「アタッチメント理論(愛着理論)」を提唱しました。世界保健機関(WHO)の報告書としても発表されたこの研究は、児童福祉の向上に多大な貢献を果たしました。
しかし、このボウルビィの理論が日本に輸入された際、極めて偏った解釈が施されました。ボウルビィが警告したのは、劣悪な施設環境において「愛着を結ぶ特定の人間が誰一人として存在しないネグレクト状態(母性剥奪・マターナル・デプリベーション)」の危険性でした。彼は決して「昼間に保育施設に通うこと」や「実の母親以外が世話をすること」を否定したわけではありません。
昭和30〜40年代の日本は、高度経済成長期の真っただ中にありました。「夫は外で働き、妻は家庭を守る」という性別役割分担意識が国策として推進される中で、ボウルビィの理論から「愛着対象は母親でなければならない」「24時間母親が世話をしなければならない」という都合のよい拡大解釈が切り取られ、いわゆる母親神話の呪縛として再生産されたのです。学術的な知見が、社会構造の要請によってイデオロギー的に歪曲された典型例と言えます。