戦前の歴史を抜きにしてこの問題を語ることはできない。1910年の韓国併合以降、朝鮮半島の人々は日本の統治下に入り、日本国籍保持者として扱われた。労働力としての動員や自発的な渡航など理由は多岐にわたるが、終戦の1945年時点で日本本土には200万人を超える朝鮮人が暮らしていたとされる。
戦後、大半は故郷へ帰還したが、治安の混乱や生活基盤の維持などの理由から数十万人が日本に留まる選択をした。大きな転換点となったのが、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約である。この条約の発効に伴い、日本政府は通達を通じて旧植民地出身者の日本国籍を一方的に離脱させたとみなす法的判断を下した。個人の意思選択を挟まぬまま、かつて「日本人」とされていた人々が一夜にして「外国人」となったのである。
さらに当時の日本の国籍法は厳格な父系血統主義を採用していたため、親から子へと外国籍が自動的に引き継がれていった。これが、日本で生まれ育ち、日本語しか話せない世代が「在日」として存続し続ける構造的な起点となった。