歌詞を細かく読み解くと、そこには単なる片思いの切なさとは異なる、冷徹な諦めが漂っている。描かれているのは、メッセージの既読スルーに一喜一憂し、相手のSNSの更新履歴からその一日の行動を妄想する「ストーキング的日常」だ。
ここには、生身の人間としての相手は存在しない。自分にとって都合の良い「記号」として加工された他者しかいないのだ。相手の本当の感情や、泥臭い人間性には触れたくない。しかし、都合の良い部分だけを愛そうとするからこそ、本質的には何も掴めない。このジレンマが、現代の若者を苛む「乾いた渇き」の正体だ。