『世界の国からこんにちは』を語る上で欠かせないのが、日本の音楽史でも類を見ない「レコード会社各社による同一楽曲の超大規模競作」です。現代の音楽シーンでは専属契約や配信権利の複雑さからほぼ不可能なプロジェクトですが、当時は国家的一大事業であった大阪万博を国を挙げて盛り上げるため、異例の協調体制が敷かれました。
1966年に日本万国博覧会協会がテーマソングの公募・選考を行い、1967年3月に発表。日本レコード協会加盟各社に対して一斉に楽曲が開放され、各社が看板歌手を起用して一斉にレコードを発売するという、前代未聞の火蓋が切って落とされました。参加した歌手の顔ぶれは、まさに昭和歌謡界のオールスターでした。
三波春夫(テイチク)を筆頭に、坂本九(東芝音楽工業)、国民的女優であった吉永小百合(ビクター)、さらには山本リンダ(ミノルフォン)、弘田三枝子(コロムビア)、叶修二(ポリドール)、西郷輝彦(クラウン)など、レーベルの枠組みを超えた総勢数十組が名乗りを上げたのです。
当時の音楽プロデューサーたちの証言によると、社運を賭けたセールス合戦は熾烈を極めました。各社が独自のアレンジを施し、歌手の個性を前面に押し出したプロモーションを展開。ラジオのリクエスト番組やレコード店の店頭では連日、異なる歌い手による『世界の国からこんにちは』が競うように流され、国民的な社会現象へと発展していきました。